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Interview Vol.03

井上晴日(作家、アニメーター)

井上晴日

初めてできた友達を自殺で失ってしまった少女・大戸アイは、ある日不思議な声に導かれ「エッグ」を手に入れる。死んだ友達を救うため「エッグの世界」での戦いに身を投じ、同じ目的をもった少女たちと出会うが―。『ワンダーエッグ・プライオリティ』(以下『WEP』)は、少女たちがトラウマと向き合い、悩みもがいていく群像劇。脚本家・野島伸司が原案、脚本を手掛け、アニメ界の若い才能たちがその世界観を美しく繊細に描き出しています。物語にすっと奥行きが感じられるほど、どのシーンも細部に至るまでつくりこまれている本作。プロップデザインを通じて『WEP』の世界観づくりの一端を担った、井上晴日さんにお話をお聞きしました。

彼女たちを侮らない、知ったかぶりしない。

ワンシーン

学生時代には油絵を専攻されていたとお聞きしましたが、アニメ業界に入ったのは卒業後まもなくですか?

井上晴日

そうですね。学生の頃からアニメ業界に進むことを決めており、卒業後はすぐにアニメの制作会社へ入社しました。そこで原画や動画の経験を積んで、フリーランスとしてアニメにかかわりはじめたのは2018年頃からです。ただ正直なところ『WEP』に関わる以前の半年ほどはアニメから距離をとっていました。作画の表現を、自分のなかにうまく落とし込めずに悩んでいて……。そんな時期、とあるイラスト集を「コミティア」に出していて、その本をたまたま『WEP』のアニメーションプロデューサーである梅原(翔太)さんが見て、声をかけてくださったんです。

ワンシーン

井上さんが普段制作をされている自宅兼作業場にお伺いしてお話を聞いた。作業場にはアニメーターとして使用する機材のほか、絵画のための画材も並ぶ。

ワンシーン

アニメーターとしてというよりは、いち作家としてオファーがあったんですね。

井上晴日

当初は「この作品のテイストに合うんじゃないかな」ということで、エンディングをつくるというお話をいただきました。ありがたいことです。企画書や覚書をいただいたところ「すごくいい!」と思ったので、すぐにアルバイトしていたサラダ屋を辞めました(笑)。そうしていたら、「プロップもやらない?」と言ってくださって。

ワンシーン

井上さんは、それまでにもアニメ作品のプロップデザインをいくつか手掛けられていたのですか?

井上晴日

いや、それが全然なくて(笑)。それに、声をかけてもらうきっかけになったイラスト集にしても小物やアイテムについて描き込んだものではなく、ロシアの旅行記をまとめたものだったんです。

ワンシーン

世界観やテイストに共感したうえでの抜擢だったんですね。制作の現場では、どのようにしてデザインが完成していったのでしょうか?

井上晴日

まずプロップの発注があって、例えばドアプレートであれば「これは、どういう経緯でこのキャラクターの家にあるんだろう?」ということを私のほうで考えて、小さな物語をつくりあげてから提案していました。プロップに限らず、貼り込み素材やゆるキャラ、子供の絵などなど、色々と描かせてもらいました。そうして縦横無尽に任せてくださったのは本当に嬉しかったし、やりがいがありましたね。プロップの描写力というよりは、作品の世界観に対してのリアクションを評価してくださっていたのかなと想像しています。あまりリテイクもなく、スムーズにやらせてもらいました。

ワンシーン

そうしたプロップをはじめとしたあらゆる発注に応じるにあたって、参照していたものはありますか?

井上晴日

ものすごく色んなものを参考にしましたね。自分の中で印象に残ってるのは、エッグに記されている文字列の部分。「暗号でエッグのなかの少女の名前を記す」というアイデアのもと、モールス信号からはじまり、この世に存在したあらゆる暗号を調べました。戦時中の軍事用暗号からマリー・アントワネットが愛人に綴った手紙のなかに使われた暗号まで……。最終的に採用したのは、エドガー・アラン・ポーの小説『黄金虫』の中で使われていた、アルファベット置換式のシンプルな暗号です。「これ気づいてくれる人いるかな〜?」なんて話していたら、ある視聴者の方が本当に気づいてくれました。細かいところまで見てくれて、そうやって解読してもらえたのはすごく嬉しかったなあ。

ワンシーン

視聴者の方もさすがですね。瑞々しく美しい映像美であるからこそ、細部まで見入ってしまった方はきっと数多くいそうです。

井上晴日

あと、強い思いを込めたのはトランスジェンダーについて考えさせられる第10回の桃恵の、「エッグの世界」のなかに登場するデジタルサイネージ。トランスジェンダーのような、つまり解剖学的な性とジェンダーアイデンティティ(男性、女性、混合、中性、それ以外)が一致しない場合に、「本当は男」「本当は女」と割り切った見方をしてしまうのは当事者に対して誠実な態度なのかなと悩み、このサイネージには「ルビンの壺」をモチーフにした広告をつくりました。ルビンの壺というのは、壺であり、横顔でもありますよね。両方のイメージが、同時に両立しているという象徴です。性の自認や性的指向にしたって、当人だけが決められる事であり、他人に定義されるものではないはず。ルビンの壺をモチーフとして使うことで、そういった思いを込めました。

ワンシーン

すみません、第10回のデジタルサイネージのデザインは見落としていました……。そんな風にして膨大なリサーチや深い洞察のもとに細部がつくりあげられていると聞くと、もう一度見直したくなります。あらゆるシーンに思いや考え、そのための時間が詰まっているんですね。

ワンシーン

制作中はコロナ禍の真っ只中のため、他スタッフとはテキストベースでのコミュニケーションがほとんどだったそう。「放送が始まってから、一緒に仕事した方々がSNSでプロップについて話したり拡散してくれたのも嬉しかった。話す機会もなく顔も知らないけれど、『私たち頑張りましたね!』って勝手に思ってます(笑)」

井上晴日

そもそも『WEP』に参加する決め手になったのが、監督である若林(信)さんの覚書を読んだことにあります。その内容に共感したんです。特にいいなと思ったのは、少女たちのキャラクターを知った気になったり、子どもだからって侮らず「キャラクターを他者として描こう」と仰っていたことです。あらゆる差別や分断に対して声を上げる時代になり、「権利」や「多様性」といった言葉がよく使われています。私はそれに対して、他人のことをそのまま他人として扱い受け止めることがその第一歩なのかなって。『WEP』に携わる前から私自身にそういった思いがありました。自分とは違う立場の人のことを考えるとき、自分の経験だけでは理解できないことが必ずありますよね。そのときに理解できないから切り捨てたり否定するのではなくて、理解できないままに「こういう人なんだな」って、他人として受け止めたいんです。

ワンシーン

安易にラベリングや要約をしてしまわずに、他者を他者のままに、分からないことも込みで引き受けると。

井上晴日

そうですね。理解しようと躍起になればなるほど、自分の知っていることの中に相手を閉じ込めてしまいます。『WEP』で言えば、第10回の薫は本当は男だとか、本当は桃恵は女の子だとか、そうではなくって、桃恵は女の子らしいけど、でもメンズライクなファッションも本当はちょっと好きだったりもするわけで、一つには決められない。そういう複雑なニュアンスを取りこぼさないようにしようって。理解をしなくたって尊重はできるし、そういったことが私にとっていまの時代のキーワードとしてあるんです。

ワンシーン

かねてから井上さんの根幹にあった考えと、監督である若林さんの言葉とが深いところで通じ合い、そういった思いの共有からプロップのデザインが展開されていたのですね。なかでも特に思い入れのあるプロップはありますか?

井上晴日

特に力が入ったのは「ガチャ」と「ポマンダー」、あと「彫像」ですね。なので、第1回の最後にアイとねいるが出会うシーンの背景にガチャがあったのは嬉しかったです。初めて本編を見たとき「うわー! きたー!」って(笑)。ガチャもそうですが、ポマンダーもすんなりデザインできました。そうした『WEP』においてのキーアイテムがスムーズにつくれたのは、思いが共有できていたことが幸いしたのではないかと思います。きっと相性も良かったのかな。

井上さんが選ぶ「ワンシーン」!

ワンダーエッグ・プライオリティ

第1回「子どもの領分」のラストシーン。友達である小糸を救うため、再びエッグを求めて庭園に行くアイ。するとそこには「ガチャ」をまわす、ねいるの姿が。「『一見美しいけれど、回すと下界から悪いものも汲み上げているような禍々しさ・不穏さがあり、かつ庭園にも馴染む』そんな雰囲気を目指してガチャをデザインしました。ある現代美術作品の佇まいを参考にしつつ、手応えを感じながらつくりました」

ワンシーン

「uno / cine」では、印象的なシーンや井上さんが手掛けたデザインを使わせていただきつつ、アパレルなどグッズをつくらせていただきました。

井上晴日

バケットハット、めっちゃいい色ですね! 刺繍されているこの卵のデザインは私の仕事です(笑)。これ実は、ネイルアートの図案から発想したデザインなんですよ。ネイルアートは色数をそんなに使わないけれど、おしゃれでポップなものが多いのでいろいろと調べて参考にしました。それに、爪は卵のかたちと似ているので。

ワンシーン

『Bucket Hat』のゴールドカラーは、ピグメント加工(顔料染め)が施されており、風合いがありながらも発色の良い仕上がりに。

ワンシーン

言われてみると、たしかにかたちが似ていますね。それにしても、本当にあらゆるところにリサーチをかけて、引用をしてデザインに落とし込んでいます。そこまでリサーチに時間をかけたのはなぜでしょう。

井上晴日

アニメの現場では美少女のキャラクターを描くことが多くて、美しい少年少女のことを理想化することに慣れきっているんです。私もそうだったのですが、そのことがずっと違和感でした。本当のところ、少女のことは少女にしか分からない。私も昔は少女だったけれどいまはもう分からないし、この時代の中学生のことは余計に分からないはずなんです。それに、少女というのは社会的にすごく弱い立場にある存在でもあります。そういう立場にある彼女たちのことを勝手に決めつけたり、「こんなものでしょ?」と理想化してなんとなくでデザインするのは今回違うのではないかと。ときには、少女たちに近い年齢の人へ取材をしたり、舞台としている土地へと赴きフィールドワークをしてみたり。十全にリサーチを行って、私のセンスや想像力からは生まれないものをつくりたかったんです。なので、当然アイが持ってるものは私の好みじゃないし、私だったら買わないものもアイは持っている。キャラクターの背景や生い立ちを聞いて、住んでる土地や彼女らがアクセスできるであろう情報や価値観を探っていく。そういうものづくりこそ、プロップデザインとしての私の仕事だと思うんです。

井上晴日

井上晴日(いのうえ・はるひ)

作家、アニメーター。福岡県出身。武蔵野美術大学油絵学科を卒業後、​​制作会社でアニメーターとしての経験を経て現在はフリーランスにて活動中。『ワンダーエッグ・プライオリティ』では、初のプロップデザインに抜擢された。美術作家としては、平面、インスタレーションを中心に作品発表を行っている。

HP https://haruhiinoue.wixsite.com/index

Text and Edit: lull, Inc.
Photography: Masataka Kougo